グランドピアノとキーボードが1台ずつ置かれただけのステージ。その頭上には「楔 -くさび-」の譜面をあしらった10周年フラッグ。そこで奥華子が見せたものは、純粋に自分の“歌”を真っ直ぐ届けたいという強い意志だった。デビュー10周年を記念して全37ヵ所で開催する全国ツアー「10th Anniversary Concert Tour 2015~弾き語り~」の初日、東京・有楽町のよみうりホール。「今日は何も考えず、自分を大きく見せようとせず、ありのままに奥華子ひとり、歌を聴いてもらいたいです」。一切気負う風もなく口にした奥華子だが、3時間ものライブを弾き語りのみで成立させるのは、普通そう簡単にできることじゃない。それは、この10年間、顔の見える相手に向けて歌を届けることを大切にしてきた彼女らしい、“人間力”で作り上げる温かい10周年ライブだった。

　まるで少女のような、奥華子の澄んだ歌声がホールに響きわたると、これまでのディスコグラフィーを縦断するように、惜しげもなく名曲たちが披露されていく。とりわけ奥の代名詞ともいえる失恋ソングでは、その狂おしいほどに切ないフレーズに、そっと目元をハンカチで押さえるお客さんの姿もチラホラ。思えば、奥華子は、ときに残酷なまでに美しく、醜いほどに赤裸々に、恋する女性の心を歌い続けてきた。「恋する気持ち、人を思う気持ちは、歳を重ねても、いちばん大事なことだっていうのは変わりません。だからわたしは恋愛の曲を歌いたいんです」。そんな言葉が出たのも、10年という節目に、改めて自分の原点にある大切なものを伝えておきたかったからかもしれない。

　そんな奥華子がメジャーデビューする以前は千葉の駅前で路上ライブを行なっていたことは有名な話だが、その当時いちばん人気があったのが「花火」だった。7月22日にデビュー10周年記念シングル『楔 -くさび-』のカップリング曲としてリリースされるこの曲を当時のエピソードを明かしながら披露する。路上こそが自分の歌うべき場所と決めこんで、メジャーなど意識してなかったころ、現在の所属レコード会社でもあるポニーキャニオンの人にこの曲を気に入ってもらったことが始まりだった。「この曲がなければ、いまのわたしはいなかった」。そう振り返った夏の日の淡い恋のうたは、誕生から10年を経ても色褪せずに瑞々しいままだった。

　数曲ごとに当時の出来事を懐かしむようにMCを挟んでいくこの日のライブ。路上時代と同じぐらい、奥華子のキャリアを語る上で欠かせないのが、奥華子の名前を一躍知らしめることになった映画『時をかける少女』の挿入歌「変わらないもの」と、主題歌「ガーネット」だ。「奥華子を支えてくれた曲です」と紡ぎ出した歌は、ピアノと声のみのシンプルな演奏ながら、目の前に様々な光景が浮かんでくるような、とても雄弁なものだった。きっとこれらの曲はこの先も長く奥華子と共に寄り添っていくに違いない。

　10周年とはいえ過去を懐かしむだけじゃなく、新曲も数多く披露された。奥華子の真骨頂でもある失恋を彩るダークなバラードや、故郷や両親の大切さを想う素朴で優しいナンバーなど、最新の未発表曲が、奥華子がずっと歌い続けてきた人気曲「楔 -くさび-」（YouTubeでは1,500万再生を記録している！）と並んでも、まったく違和感がないのが彼女らしい。時代や流行に決して左右されない奥華子の歌は、どこまでも普遍的だ。

　アンコールでは、客席から「今日、誕生日！」というアピールの声があがると、「他にも誕生日の人いる？」と、気さくに問いかけていく奥華子。
「“BIRTHDAY”、歌って！」と言われると、そのワンフレーズをさらりとプレゼントしてしまう。こんなふうに客席との距離が近いコミュニケーションを大切にするのも、路上時代に培った奥流のお客さんの掴み方なのだろう。歌で泣き、人柄で笑顔を呼ぶ、これが奥華子のライブだ。

　シンガーソングライターにとって、もちろん良い歌を作ることはいつも大前提だが、その良い歌を、聴いてもらえる歌にできるかは、作り手の“人間力”が試される部分だと思う。奥華子はその力がとても強い。ここから始まる全国ツアーでも、きっと奥華子は、その溢れる“人間力”で会場に集まるお客さんを笑顔に変えていくのだろう。

【取材・文：秦 理絵】