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amazarashi いまを“懸命に生きる”――濃密なメッセージを惜しみなく伝えた一夜

amazarashi | 2018.07.10

 amazarashiが今年3月にリリースした4枚目のアルバム『地方都市のメメント・モリ』とは、地方都市=青森に住む秋田ひろむが、身の周りのことを綴った日記のような作品だ。メメントリ・モリとは、“死を想え”というラテン語。誰もが平等に死へと向かい、それぞれの土地に根ざして期限付きの命を燃やす。そういう全ての生活者の営みが、『地方都市のメメント・モリ』というアルバムには表現されている。このアルバムを携えて、4月から全国10ヵ所で開催してきた『amazarashi Live Tour 2018「地方都市のメメント・モリ」』の追加公演が、中野サンプラザに行なわれた。ステージ前面に落とした紗幕に歌詞のタイポグラフィーや映像が映し出され、伝えるべきことに一切の妥協がない、その渾身のライブは、見る者がみずからの心と向きあわざるを得なくなる、とても濃密な時間が流れていた。

「ワードプロセッサー」からライブは幕を開けた。会場の静寂を打ち破るバンドの第一音が鳴り響くと、秋田ひろむは衝動を帯びた熱い言葉を早いテンポで投げかけてゆく。よくある流行歌の聴き心地のいい常套句からはハミ出た、絶望と隣り合わせにある“希望の歌”。心を抉る秋田の鋭い言葉たちを、重厚感のあるバンドサウンドが支える。ピアノとバンドサウンドが滑らかに絡み合い、解放感に満ちた「フィロソフィー」まで、ライブの冒頭はアルバム『地方都市のメメント・モリ』の出だしの収録曲順そのままだった。

「言葉は積み重なる。言葉によって人間は作られて、その言葉は生活によって作られる。わいは、わいは語るとき、あなたは、あなたを語るとき、やむにやまれず言う言葉、言うべくして言う言葉。偶然じゃなく、思いつきじゃなくて、必然の言葉。死にたい夜を越えて、あなたに歌いにきました」。MCと言うよりも、まるで詩を朗読するように、秋田ひろむが語りかけてから届けたのは、「この街で生きている」だった。メジャー3枚目のミニアルバム『アノミー』に収録される曲だが、“人々が生きる場所”をテーマにした、今回のツアーの内容には、欠かせない曲だったと思う。人生の“たられば”を夢想するミディアムテンポの「たられば」、学校という閉鎖的なコミュニティーの息苦しさを《ここが生きる場所でないから 僕ら地球外生命かもね》と歌う「月曜日」。行き場を求めて彷徨うような曲たちが続いた。

 それぞれの街に生きる人が心に抱く感情の悲喜こもごもを歌う、ということをテーマにした今回のライブのなかでも、とりわけ歪で、禍々しくて、執念深い――ふだんは胸のなかに隠しておくような負の感情を曝け出した、中盤のタームはamazarashiにしか表現できない凄みがあった。ひとつの別れに端を発する心の動揺を丹念な言葉で紡いだバラード「リタ」、自分に嘘をつくことで育ってゆくバケモノの存在を不気味なアニメーション映像でも表現した「バケモノ」のあと、秋田ひろむの狂気じみたボーカルに息を呑んだのは、「ムカデ」だ。インディーズ時代にリリースされた初期作『0』に収録されたその曲は、スクリーン映像でムカデがおどろおどろしく蠢くなか、自殺寸前のぐちゃぐちゃの感情を叫ぶように叩きつけて、最後に《生きてもいいですか》と締めくくる。その「ムカデ」を歌ったことで、より鮮烈な意味を持ったのが「ラブソング」だった。音源には収録されていないポエトリーで“欺瞞と疑念飲み込んだムカデ”と自分自身を喩える導入、そして、荘厳なサウンドにのせて「愛」の意味を問いかけゆく。amazarashi の楽曲は、当然1曲単体でも十二分に色濃いメッセージ性を持つが、1本のライブを俯瞰して見渡した時、それぞれの楽曲が重要な役割を担い、お互いの歌を補完し合いながら、ひとつの大きな物語を紡いでゆく。

「人が集まって暮らせば、光と陰が存在するのは、必然かもしれません」。そんな言葉と共に、ひとつのハイライトになったのは、ピアノがリードする深淵なサウンドにのせて、“地方都市”に蔓延る(はびこる)焦燥をポエトリーリーディングで綴った「水槽」、さらに、ゆっくりと刻む深いビートが印象的な「ぼくら対せかい」だった。過去から未来へ、年を重ねることで“世界”の境界線は変わっていくが、いつも“懸命に生きてきた”と歌われるのが、「ぼくら対せかい」という曲だ。結局、世界とは相対的なもので、自分自身の認識によって広さも色合いは変わってゆく。学生の頃、あの閉鎖的な学校という空間を決して狭いとは感じず、それが世界の全てだったように、いま生きる場所、見える景色、生活する場所こそ、それぞれの人にとって世界の全てだ。続けて披露された「多数決」も、「命にふさわしい」も、そういう“世界”のなかで、懸命に生きる“ぼくら対せかい”の構図が貫かれていた。思えば、amazarashiの楽曲たちは、そのほとんどが“世界と戦い続けるぼくら”の歌なのだと思う。

 ライブの終盤、17曲を歌い終えるところで、秋田ひろむが「もうここまで来たら、何も言うことはありません。思い残すことはないように歌います」と言うと、フォーキーなサウンドにのせて、故郷・青森への想いを綴った「悲しみ一つも残さないで」を届けた。続けて、「11年前、寂れた地方都市で、この歌から全てが始まりました」と曲紹介をしたラストナンバーは「スターライト」。これまでのライブでは、『銀河鉄道の夜』をモチーフにした星空の映像で披露されていた曲だったが、この日のライブでは、まだ見ぬ未来へと駆け抜けていくような疾走感のある映像へと変化していて、その映像を映し出す紗幕の奥で、大きく身体を揺り動かしながら、エモーショナルに歌う秋田ひろむの姿も印象的だった。《いつか全てが上手くいくなら 涙は通り過ぎる駅だ》――キラキラとしたロックサウンドにのせて、力強く叫ぶ、果てしない希望の歌こそ、この“世界”でamazarashiが届けたいメッセージだ。

 スターライトのアウトロ。演奏を止めて、秋田ひろむは言った。「日々は続く、人生は続く、このツアーが終われば、わいも、あなたも、また日々の暮らしに戻ります。その日常に埋没しそうな時、今日の言葉たちが輝きをもって、何かしらの閃きになれば、これ以上の幸いはありません。またこの街で、もしくはこの“世界”のどこかで、もしくはあなたの住む街で、必ず生きて会いましょう」。そう言って、大きく息を吸い込んだあと、「最後にひとつだけ……ありがとうございました!」と、秋田ひろむが叫ぶように感謝の気持ちを伝えると、満員の中野サンプラザは惜しみない拍手で満たされていた。

 amazarashiのライブは、終わったあとこそ、本当の始まりのように思うことがある。この日、言外に投げかけられた、「あなたはどんなふうに“世界”と向き合っていますか?」という問いかけ。その答えを探す旅路が、それぞれの日常で始まってゆくのだと思う。

 なお、このツアーを終えたあと、amazarashiは自身初となる武道館ワンマンを開催する。新たなテクノロジーを駆使して展開する予定だというライブに向けて、実は、この日の終演後には、有志のお客さんを交えた舞台演出のシミュレーションも行なった。かつて、武道館のすぐ横にある彌生慰霊堂で修繕工事のアルバイトをしていたという秋田ひろむは、コンサート帰りのお客さんを見て、とても悔しい想いをしたという。「あの日の悔しさを晴らします」。万感の思いを込めた、amazarashi初の武道館ワンマンは11月16日に行われる。

【取材・文:秦 理絵】

tag一覧 ライブ 男性ボーカル amazarashi

リリース情報

地方都市のメメント・モリ

地方都市のメメント・モリ

2017年12月13日

SMAR

1.ワードプロセッサー
2.空洞空洞
3.フィロソフィー
4.水槽
5.空に歌えば
6.ハルキオンザロード
7.悲しみ一つも残さないで
8.バケモノ
9.リタ
10.たられば
11.命にふさわしい
12.ぼくら対せかい

お知らせ

■ライブ情報

amazarashi Live at 日本武道館
supported by uP!!!

2018.11.16(金)日本武道館

※その他のライブ情報・詳細はオフィシャルサイトをご覧ください。

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