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amazarashi 日本武道館で見せた“言葉”と“音楽”の未知なる可能性

amazarashi | 2018.12.03

 amazarashiの歴史は壮絶な言葉との闘いだった。彼らは、誰も歌わないことを、誰も歌わない言葉で紡いできたバンドだ。そんなamazarashiが初の日本武道館という場所でテーマに掲げたのは“言葉”だった。11月16日、『朗読演奏実験空間“新言語秩序”』。アリーナ席の真ん中に四方をLEDスクリーンで囲ったステージを置き(2階席から見下ろすと、巨大な立方体のハコのようだった)、そのスクリーンの奥にあるセンターステージに立った秋田ひろむ(Vo&Gt)は、バンドメンバーとともに、満員の武道館に向けて「言葉とは何か?」を問いかける壮絶なストーリーを描き出した。

 ライブはスマホアプリと連動していた。武道館ライブの1ヵ月ほど前から専用アプリがダウンロードできるようになり、そこで公開された秋田書き下ろしの小説『新言語秩序』がライブの内容と連動するものになっていた。『新言語秩序』とは、秋田本人の説明を引用するなら、「言葉のディストピア物語」だ。インターネットの書き込みをはじめ、本や雑誌、新聞、広告の宣伝文句からミュージックビデオの歌詞、路上の落書きにいたるまで、一般市民による言葉の監視が行なわれる社会が描かれる。それは架空の物語でありながら、SNSによる炎上や正義感きどりが振りかざす言葉の暴力が加速した結果、コンプラ最優先の自主規制された表現が氾濫するという現代社会の末路を見据えたような物語だ。小説のなかでは、「言葉を取り戻せ」というシュプレヒコールが印象的に描かれている。

 そんな「もしも」の世界を疑似体験させるような作品として、武道館の1週間前には最新シングル「リビングデッド」もリリースされた。全3曲が武道館公演のための書き下ろしだ。YouTubeで公開された「リビングデッド」のミュージックビデオは「新言語秩序」の検閲により、テンプレート化された映像しか見ることができず、アプリで検閲を解除することで正しく見ることができる。だが、そのシングルのカップリング曲「独白」はノイズ音ばかりで聴くことができないまま、武道館ライブの当日を迎えることになった。

 「日本武道館、新言語秩序。青森から来ましたamazarashiです」。美しいピアノの旋律と重厚なバンドサウンドにのせて、ポエトリーリーディングで歌詞を紡いでいく「ワードプロセッサー」のあと、秋田が力強く叫び、ライブは幕を開けた。紗幕スクリーンに映し出される歌詞のタイポグラフィーは一部が黒塗り、つまり「新言語秩序」による検閲済みの状態で描かれている。続く「リビングデッド」では、アプリからスマホをスクリーンにかざすようにアラートが出る。すると、スクリーン映像の検閲が解除され、スマホのフラッシュライトが演奏にあわせて点滅しはじめた。アプリを使うことで、会場に集まったお客さんとともにライブを作り上げていくという演出だ。そして、「季節は次々死んでいく」までの4曲を歌い終えたところで、秋田が小説『新言語秩序』の第一章を朗読しはじめた。低く、ざらりとした秋田の声質と抑制の効いた話し方は、退廃的な物語の語り部として、とても合っている。このあとも、ライブは演奏と朗読を交互に繰り返しながら進んでゆく。

 ネオン街をトボトボと歩く孤独な人影と共に穏やかなテンポで届けた「ナモナキヒト」、紗幕の奥に透けて見える秋田ひろむがいっそう激しく体を揺り動かしながら歌っていた「命にふさわしい」、プログレッシブなバンドサウンドにのせて、呪詛のように生きることへの執着を紡いでゆく「ムカデ」。この日、披露される過去の楽曲たちは、「リビングデッド」を除いては、当然、この日の武道館のために書かれた曲でない。だが、すべてが物語を構成するピースとして位置づけられていた。物語のなかでは、『新言語秩序』の圧力に屈しない反抗勢力のことを『言葉ゾンビ』と呼ぶ。amazarashiは『言葉ゾンビ』の象徴だ。そういう世界観のなかで聴くからこそ、たとえば「悔しい」という感情の奥で相反して抱いてしまう希望と絶望の色合い、「愛しい」という想いから決して離れようとしない苦しみの深さ、そういう曖昧模糊とした人間の感情に対して、いかにamazarashiが目を逸らさず、諦めず、歌にしてきたか、その軌跡がいっそう浮き彫りになるような気がした。それに加えて、バンド初となる念願の武道館だからこその迫真の演奏、さらに『新言語秩序』によって検閲された社会の歪みをリアルに映し出す映像もあいまって、ライブが中盤に差しかかるころには、まるで実際にその物語に足を踏み入れたような錯覚にすら陥っていた。

 第三章。『新言語秩序』と『言葉ゾンビ』の対立が混沌を極め、物語がクライマックスに向かうなかで披露された「僕が死のうと思ったのは」「性善説」、そして、「カルマ」への流れは圧巻だった。何が正義なのか、私たちは何のために戦い、生きるのか。そういう問いかけがストーリーと共鳴しながら伝わってくる。そして、最終第四章へ。その結末は事前にアプリで読んでいた内容とは違うものが用意されていた。言葉を暴力で殺すバッドエンドではなく、言葉に言葉で対抗する明確な意思で終わる。そして、ラストソングは『リビングデッド』のCD音源ではノイズになっていた「独白」の検閲解除バージョンだった。“言葉にできない気持ちは言葉にするべきだ”“言葉は積み重なる 人間をかたち作る”。ノイズで隠されていた歌詞は、そんな内容だった。それを、淡々とした朗読とは対照的に、激しく感情を昂らせ、声を荒げながら届けると、秋田は、何度も「言葉を取り戻せ!」と繰り返し、最後に「言葉を…言葉を、取り戻せ!」と振り絞るように絶唱して、ライブを締めくくった。

「日本武道館、ありがとうございました!」。そう言って、メンバーがステージを降りたあと、エンドロールが流れているあいだ中、客席からの拍手は鳴りやまなかった。そして、「amazarashi」のロゴが大きくスクリーンに映し出された瞬間の割れんばかりの歓声は、彼らの初武道館がどれほど素晴らしいものだったかを鮮烈に物語っていた。

 言葉とは何なのか。それこそ言葉にすれば、7文字ほどのテーマを投げかけるために、amazarashiは様々な仕掛けを施して、武道館に物語を描き出したのだと思う。そうまでしないと、大切なことは伝わらない。言葉も、音楽も、悲しいほど無力な部分があることを知っているからだろう。だが、同時に、伝えることを諦めなければ、言葉も、音楽も、必ず聴き手の心に訴えるちからがあることも理解しているのだと思う。音楽は発明され尽くした。売れるものにはフォーマットがある。そういう既成概念を打ち砕き、斬新なアイディアと、実験を恐れない勇気をもって、自分自身の「表現」と対峙したamazarashi初の武道館は、言葉にも、音楽にも、まだまだ未知の可能性があることを感じさせてくれるものだった。

【取材・文:秦 理絵】
【撮影:Victor Nomoto】

tag一覧 ライブ 男性ボーカル amazarashi

リリース情報

リビングデッド

リビングデッド

2018年11月07日

SMAR

1. リビングデッド
2. 月が綺麗
3. 独白(検閲済み)

セットリスト

amazarashi
「朗読演奏実験空間“新言語秩序”」
2018.11.16@日本武道館

  1. 01. ワードプロセッサー
  2. 02. リビングデッド
  3. 03. 空洞空洞
  4. 04. 季節は次々死んでいく
  5. 05. 自虐家のアリー
  6. 06. フィロソフィー
  7. 07. ナモナキヒト
  8. 08. 命にふさわしい
  9. 09. ムカデ
  10. 10. 月が綺麗
  11. 11. 吐きそうだ
  12. 12. しらふ
  13. 13. 僕が死のうと思ったのは
  14. 14. 性善説
  15. 15. 空っぽの空に潰される
  16. 16. カルマ
  17. 17. 独白

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