JYOCHO、1stフルアルバム『美しい終末サイクル』を携え迎えたツアーファイナル代官山UNIT
JYOCHO | 2019.03.20
例えばサグラダファミリアが常人には理解できない複雑さを持ちつつも、ガウディ亡き後も着実に完成に向かう理由として、建造物を構成するための一つ一つの要素がガウディ以外の他人にも理解できることと通底するような感覚――大げさにいえばJYOCHOのライブで想起したのはそういうことだった。もしくは自分の体の内側で起こっている止まることのない細部分裂を顕微鏡で見ているような、心拍を聴診器で聴いているような感覚にも時折陥った。
1stフルアルバム『美しい終末サイクル』を携え、過去最長となる全国8カ所でのワンマンツアーのファイナルとなったこの日。だいじろー(Gt/Cho)を筆頭とする超絶技巧マニア的なプレーヤー気質のリスナーも、マスロックだが叙情味もあり歌ものでもあるバランスに魅了されているリスナーも、音楽も漫画もアニメも精密さを求めるオタク気質のリスナーも混在しているように見えるフロア。男性が多めで外国人の男性ファンも見受けられたが、女性ファンも散見された。ブルーのムービングライトがフロアを照らし、オーディエンスも“美しい終末サイクル”という物語の一部になれるような演出がいい。
想像以上に元気に登場した5人はアーティスト写真と同様、白い衣装で統一している。超絶技巧でありながら、森の中に差し込む光を浴びるような曲調と音色の「from long ago」からスタート。シームレスにアルバムのリード曲である「つづくいのち」へ。だいじろーのクリーントーンのタッピングが奏でるアルペジオはまさに螺旋を描く命のリレーのようで、変拍子ではありつつ大きな体感としては3拍子の大きなグルーヴを描いていることをはち(Fl)のフレーズが明快にしている。まるで壁も天井もない空間にぐんぐん伸びていく生命力は次の「太陽と暮らしてきた」で、よりダイナミックに植物がこれからの季節に枝葉を伸ばしていくようなイメージだ。音源で聴こえている部分以上にその緩急と、「そこまでドラムで表現するの?」というか、パーカッション奏者のソロ表現に近い音も差し込んでくるhatch(Dr)のフレージングが凄まじい。なんとなく揺れることしかできないのだが、それが心地いいし、演奏が目で確認できることで驚きが倍増するという意味で、JYOCHOはライブが楽しい、ライブならではの楽しみが十二分にあるバンドだと瞠目した。見事に息を合わせて3曲目をフィニッシュすると、集中していたフロアから拍手と歓声が溢れる。意外だったのは、猫田ねたこ(Vo/Key)が、「つづくいのち」の後、MCのタイミングじゃないけど一言言わせて、と、キーボードの音色にトラブルがあることを確認。鳴らすと確かに微妙に揺れがあり、「スピリチュアルな音になってる」と笑いを取ると、だいじろーが「『つづくいのち』スピリチュアル・バージョンでお届けしました」と、さらに被せてきた。ストイックなイメージのあるバンドだが、キャラクター的には全然そういうわけじゃないことをライブ冒頭で理解した。
鈴や水の音をイメージさせるSEからインストの「my room」とひと連なりの「my rule」ではステージ上手の天井にあるミラーボールがきらめき、夜の一人の部屋から月を見上げるような演出がパーソナルな曲のイメージを増幅。その2曲のテーマとも呼応する1stシングル「互いの宇宙」へ自然とつながる流れも素晴らしい。超絶早弾きだけがJYOCHOの特徴ではない。
ライブへの手応えと観客の集中度合いがバンドにダイレクトに伝わっているようで、感情をあらわに「ありがとー!」と感謝を表すsindee(Ba)を始め、全員が上機嫌。MCでは先日公開した「sugoi kawaii JYOCHO」のMVに対するコメントについてsindeeは「ドリーム・シアターに比べたら大したことないとか、そこと比べられるのは光栄」と言い、だいじろーは「馬乗りになられた気分っていうコメントが印象的だった」と、コメントを把握しているであろうフロアも爆笑。当のナンバーを演奏する旨を伝えるとフロアから歓声が上がり、息を持つかせぬ「sugoi kawaii JYOCHO」に突入。幾何学的に挟まれるベースやドラムもだいじろーの高速タッピング同様、アイデアに溢れている。さらにまるで機械のバグのようなつんのめるギターフレーズがユニークで、全体的には大きなグルーヴと陽光を感じさせる明るいコードの「family」を連発。音楽が作り出すエモーションを緻密に編み上げるJYOCHOの特徴の中でもファンに強く支持されているこの2曲のプレイで会場は興奮と多幸感に満ちていた。
後半にはループするピアノリフ、メロディアスなフルートとよく動くベースラインが印象的な「Lucky Mother」や、猫田の歌がよく聴こえ、JYOCHOの死生観や哲学がうかがえた「365」。そこから少しずつ夜が明けていくような演出が用いられた「グラスの底は、夜」から「わたしは死んだ」までの5曲は、ひと連なりの物語のよう。歌が伝わる楽曲でも細部のアレンジは研ぎ澄まされているが、こうした曲でJYOCHOがあらゆる手法で彼らにしかできない伝達の方法を試行錯誤していることがわかる。“伝える”ためにはあらゆる技巧があり、それを諦めない前向きなスタンスがこのバンドの本質なのだと感じた。
フィジカルに訴える驚きの演奏も、物語を編む静謐な曲も織り交ぜながら進行してきたライブ。だいじろーは相当手応えを感じたようで、バンドをスタートさせた頃はそれほど必然を感じていなかったライブが、今ではグルーヴを増し、JYOCHOにとって不可欠な活動になったこと、マスロックと呼ばれるジャンルは正直、売れないけれど、JYOCHOはいろんな壁を打ち破るつもりだと発言。フロアも歓声と拍手で賛同した。
本編の締め括りは季節の移ろいや風を感じる「美しい終末サイクル」、そして変化に対する感情である“怖さ”を認め、そこから顔を上げて歩き出す心情の動きをリリカルに描いた「こわかった」。エンディングに向かう部分での転調はオーソドックスな手法だが、一歩踏み出す心境とリンクして、ライブを見ているファンの心のギアも上がったように感じたのは私だけではないと思う。実に有機的な演奏で、歌詞のラストのフレーズである「また、どこかで会えたらいいな」という想いが立体的にアンサンブルとして鳴り、ステージとフロアを結びつけてもいた。
一編の映画や舞台のように構成された本編を終え、リラックスしたムードのアンコールでは、新しいグッズのモチーフであるキャベツが描かれたトートバッグの中から本物のキャベツを取り出し、剥がれた何枚かを前方のファンに渡すだいじろー。笑いを取るためでもなんでもなく、自然とこうなってしまうのだろう。そんな彼の人柄もこの先、JYOCHOの敷居を下げていくはずだ。アンコールの拍手が「BPM120ぐらいかな。それぐらいの感じでクラップをお願いします」と要請。イントロとアウトロでファンも自然とクラップで参加できる「pure circle」で、ストイック一辺倒ではない、これからのJYOCHOのポテンシャルを予感させ、ライブは終了。技巧でも曲の良さでも未体験のアンサンブルでも、JYOCHOの入口はいつでも開いている。入ってしまえばあなたなりの楽しみがきっとあるだろう。
【撮影:佐藤 広理】
【取材・文:石角友香】
リリース情報
お知らせ
CRCK/LCKS 2019春のパパパパ!ツアー
04/26(金)新代田FEVER
HELLO INDIE 2019
05/19(日)仙台PIT
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