amazarashi5周年ツアーのファイナル、中野サンプラザをレポート
amazarashi | 2016.03.15
繊細なピアノの音が降りそそぐ。その“ゆらぎ”の中に切り込んでくる秋田ひろむの独白。鋭い言葉の数々、独特の起伏のあるテンション高き絶叫が、α波の如くゆらぐ旋律を戦慄に変えていく。amazarashiが繰り広げる、圧倒的な世界が、今、幕を上げていく。
2016年3月6日。「amazarashi 5th anniversary Live Tour 2016」、ファイナル、中野サンプラザ公演は、最新アルバム『世界分岐二〇一六』の最後に収録されている曲「収束」でスタートした。
2016年1月から始まったこのアニバーサリーツアーは、2月28日のZepp Tokyoでの追加公演も含め、全6か所8公演。amazarashi史上、ワンツアー最多箇所となったこのツアーは、amazarashiがライブバンドであることを実証するツアーだったと思う。
「収束」が終わると、空間にバンド名とロゴが浮かび上がった。ステージを覆っていた薄い幕、そしてステージ後方にあるスクリーンを同時に使い、飛び出したように見えるバント名。ロゴ。ピアノの旋律が駆け出し、ドラムが追いかける。バンドサウンドが奏で始めたのは「季節は次々死んでいく」だった。
ステージ上に5人の姿が浮かぶ。顔は見えないが姿ははっきり見える。初期の彼らは、ライブ中、1度も姿を見せず、暗闇に沈むステージからサウンドシャワーを観客に叩き付けていた。そこに変化の兆しが見え始めたのは、2度目の渋谷公会堂(2012年11月30日)だったと思う。自分たちの意志とも言える楽曲、他にない世界観が熱狂的に支持された様子を目の当たりにし、手探りながら明らかに“観客との関係性”を意識するようになった。それを今また、幾度もライブを重ねた中で、変えていこうとしている。楽曲の歌詞が、次々と目の前に広がり、砕けていく。それはまるで、自分たちの殻は、自分たちで破るという決意表明のように私には映った。
4曲目「性善説」が終わる。チューニング中のメンバー。チューニングが終わるまで、静寂を演出する観客たち。amazarashiらしい、いや、amazarashiにしかないワンシーンだ。続く「雨男」では、映像ではイラストで、客席にはブルーのムービングライトで“雨の滴”を描いて見せた。
本を手にした秋田に頭上から薄明りのピンスポが当たる。オープニングに続き、この日2度目の秋田ひろむの朗読。絶叫も挟み込む、独特の口調。その最後は、こんな言葉で締めくくられた。
<幸せも喜びも愛も、すでに、人間の共有財産ではなくなった>
アニメーションを全編に使った映像で聴かせた「ラブソング」から、隙間なく突然スタートしたのは「スピードと摩擦」。映像はMV。トイレで女子高生が踊り狂う。スリリングなフレーズとスピード感ある秋田のボーカルが特徴のAメロ、抒情的なBメロ、ダイナミックなサビと、王道の構成の1曲だ。しかしながら、エンディングでしっかり“いびつさ”を残すあたりが、秋田のコンポーザーとしての個性だろう。
中盤は少しゆったり目の曲が続く。
中でも「花は誰かの死体に咲く」の淡々とした切実さはすさまじかった。この曲で秋田ひろむが表現しようとしているのは、自然の摂理なのではあるまいか。自然の摂理の前では、人間はきっと無力だ。いくら考えても、答えは出ない。秋田も答えが出ないことは知っているはずだ。それなのに、自問自答する。それはきっと、誰もが“何かの答え”を探しているのをわかっているから。なのに、疑問に気が付かないふりをしているから。だから秋田ひろむは、詰めるように問いかけるし、いつも答えを探しているのではあるまいか。そして、だからこそ秋田ひろむだけの真意が成立するのだと思う。これがamazarashiの核であり、多くのリスナーが引きつけられる理由なのだろう。
リスナーにとって、秋田ひろむの真意は、ただの独白では無いのだ。誰もが持っている心の闇を言葉にし、ただ過ごしている人に、自分が人間であると自覚させる。それがamazarashiというバンドの存在なのではなかろうか。
ライブは終盤へ向かう。ギターのアルペジオが印象的なイントロ。サウンドとポジティブな歌詞がぐいぐい曲をひっぱっていく。amazarashiにとって、間違いなくひとつの分岐点になったアップチューン。オリオン座が見える。夜空の中をSLが走っていく。「スターライト」。サビの“スターライト”の繰り返し、“タ”へのアクセントの付け方が個性的で秀逸だ。秋田ひろむが、優れたボーカリストでもあることがわかる1曲である。<鳥になるか 鳥になるか>という歌詞に合わせ、映像に渡り鳥が加わる。この曲だけでなく、同様の映像演出が何曲かあった。これは、自分たちの曲を使えるための手段としての映像に対して、新しい欲求が出てきた結果だと思う。初めてamazarashiのライブに来た人にも、曲を瞬時で伝えたいと思うようになったのではなかろうか。だから、映像から直接歌詞につながるアイコンを入れるようになってきたのだろう。初期の彼らからはちょっと考えられない変化だ。とはいえ。その逆に、アニメはよりいい意味でエグさが強調されていたりもしたけどね。観客との距離感=緊張感を大切にしているバンドならではの計算されたバランス感だと思った。
「しらふ」(※ファーストフルアルバム『千年幸福論』リリースの際に書き下ろされた小説をポエトリーリーディングとして最新アルバムに収録した)の後、秋田のファルセットもロマンチックな「美しき思い出」へ。終わると会場からゆっくりと拍手が起こった。その拍手が静まると、この日、初めて秋田が、生の言葉で気持ちを紡いだ。
「ありがとうございます。ツアーファイナル、すごい感慨深いです。アルバム(=『世界分岐二〇一六』)を作っている時は、世界終われと思って作っていたけど、全国ツアーして、みんなからまた綺麗なものをいっぱいもらいました。みなさん、メンバー、スタッフ、ありがとうございました。(この気持ちを)音楽に返して、形にしたいと思います」
この言葉に、この日、1番大きな拍手が起こった。
終盤。ロボットが老いて生命が絶える様をCGアニメのような映像で描いた「エンディングテーマ」は、壮絶な映像のクオリティーとサウンドのリンク(本当に寸分たがわずリンクしてた!)も相まって、動けなくなるほど圧倒された。このクオリティーを維持しながら、全国を回って来たのか。恐るべし、精神力。初めての渋谷公会堂で彼らのライブを観た時には、あまりに映像とのリンクがハイクオリティーすぎて、全国ツアーなんて大変で出来ないだろうなと思ったし、バンド自体もそんなにライブを求めているように感じなかった。
あれから約5年。バンドを変えたのは、紛れもない、秋田ひろむの自我を支持した観客=ライブだと思う。
「エンディングテーマ」が終わった後、秋田が再び、言葉を放った。
「それでも人生は美しいと言えるのか。最後の曲です。『ライフイズビューティフル』」
ロマンチックでピュアなメロディーがしんしんと降り積もる。歌詞も他にないくらいストレートだ。 “わい”=秋田ひろむが、これまでの人生を振り返りながら、決意を歌う大切な1曲。
<歌う場所はどこでもいいぜ 歌う歌がわいの歌なら>
と歌い、最後は優しく<人生は美しい>と繰り返す、美しさは、儚さよりも力強さが勝っていたように思う。リフレインする美しいメロディの余韻、余韻を噛みしめる観客の静寂。この“amazarashiらしい光景”で、「amazarashi 5th anniversary Live Tour 2016」は幕を閉じた。
2016年10月15日、土曜日。幕張メッセイベントホールで「amazarashi LIVE 360°」というライブが決まっている。5サラウンド、3Dに続く、彼らの仕掛けは360°。まったく想像できないが、きっとただのセンターステージとかじゃ無いんだろうなぁ。
夏を待ち、初秋を超え、涼しくなってきた頃。
また進化したamazarashiを観たいなと思っています。
【取材・文:伊藤亜希】
リリース情報
世界収束二一一六(初回生産限定盤A)[CD+DVD]
2016年02月24日
SMAR
1. タクシードライバー
2. 多数決
3. 季節は次々死んでいく
4. 分岐
5. 百年経ったら
6. ライフイズビューティフル
7. 吐きそうだ
8. しらふ
9. スピードと摩擦
10. エンディングテーマ
11. 花は誰かの死体に咲く
12. 収束
[DVD]
[amazarashi 5th anniversary live 3D edition 2015.08.16]
1. 後期衝動
2. 季節は次々死んでいく
3. ヒガシズム
4. 冷凍睡眠
5. スターライト
[MV]
多数決
※オリジナル小説「花は誰かの死体に咲く」、詩集本 封入
セットリスト
amazarashi 5th anniversary Live Tour 2016「世界分岐二〇一六」
2016.3.6@中野サンプラザ
- 収束
- 季節は次々死んでいく
- タクシードライバー
- 性善説
- 雨男
- ラブソング
- スピードと摩擦
- コンビニ傘
- 百年経ったら
- 花は誰かの死体に咲く
- 夏を待っていました
- スターライト
- しらふ
- 美しき思い出
- 多数決
- エンディングテーマ
- ライフイズビューティフル
お知らせ
amazarashi LIVE 360°
2016/10/15(土)幕張メッセ イベントホール
※その他のライブ情報、詳細はオフィシャルサイトをご覧ください。