全身全霊をかけたステージで、衝撃の結末を迎えた安藤裕子復活ライブ
安藤裕子 | 2012.05.16
素晴らしいライブだったと言えば、彼女にとっては不本意だろう。しかし、個人的には本当に素晴らしいライブを見ることができたと思っている。結果から言えば、彼女は予定されていたステージをあと一息のところで完遂できなかった。昨年、妊娠によりアコースティックツアーを途中で中止した安藤裕子が、出産、ニューアルバム『勘違い』のリリースを経て、本格復帰となるライブでもあったこの日。安藤本人も、訪れた観客も、胸に期するものがあったことは間違いないが、ライブは誰しもが予想しえない結末を迎えてしまったのだ。
名手・佐野康夫によるシビれるドラミングから、鳥肌が立ちそうなほどビシッとしたバンドの演奏で始まったライブ。カラフルなワンピースに身を包んで「輝かしき日々」を歌い始めた安藤からは、隠しきれない緊張がにじみ出し、彼女の復活に花を添えようという気持ちがひしひしと伝わる演奏陣との間で、しょっぱなから独特の雰囲気が形成された。続くアルバムのタイトル曲でもある「勘違い」では、水面がゆらめくような印象的なライティングのなかで幻想的な歌声を響かせるも、やはりどこか不安定さは隠せない。しかし、アルバムのなかでも、そして彼女のキャリアのなかでも異端的な攻撃性を持つ「エルロイ」になると、今度は逆にその緊張感がプラスに働き、凄みすら感じさせる迫真のステージを披露する。その後、張りつめた展開からサビで一気に開ける「み空」を歌ったところで一旦MCへ。序盤から聴く側にも神経をすり減らさせるような展開は、きっと意図したものだったに違いないが、安藤本人が考えていた以上に体力・精神力を要するものだったのだろう。MCでも言葉少なだったものの、素直に緊張を吐露していた彼女。客席の至るところから届く「おかえり!」の声に安心したのか、ここからは徐々に安定を取り戻していく。
「のうぜんかつら」、「あなたと私にできる事」、「Lost child,」といった初期の名曲を挟みつつ、最新アルバムからも「すずむし」、「アフリカの夜」を披露した中盤では、コロコロと表情を変える声色の多彩さを堪能させてくれた彼女。どうしても披露したかったと言う新曲を聴かせた後は、客席から今日が誕生日の人を見つけ出して、起立してもらい(ちなみにドラムの佐野も誕生日だった)、「恥ずかしいだろ」と茶化しつつ「Happy Birthday to You」を歌う大サービス。そして、そのままアルバムのなかでも最もピースフルな「お誕生日の夜に」へ。会場全体がこの日いちばんの幸せな空気に包まれた。
その後の「それから」、「The Still Steel Down」では、ときおり不安定さを感じさせていたものの、アルバムでも重要な位置を占めている「永すぎた日向で」では、荘厳なバックの演奏とともに果てしなくやさしく、慈愛に満ちた歌声を響かせた彼女。個人的には間違いなくこの日最も魂のこもった素晴らしいパフォーマンスで、思わず涙があふれてくるほど感動したが、インタビューで「自分の終わりを思ってたところがあって…」と語っていたこの曲を歌いきったことで、張りつめていた緊張は崩壊し、彼女は燃え尽きてしまったのだろう。問題となった次の「飛翔」の途中で彼女は歌えなくなってしまい、そのままバンドメンバーを残してステージを去ってしまったのだ。
暗転したまま沈黙が流れる場内。実は、事前にプレス向けに配られたセットリストでは、この後にまだ「鬼」が残されていた。アルバムの曲順でも最後に配されたリード曲であり、出産後に作られたというこの曲を歌うことで、彼女の復帰ライブは完結するはずだった。暗くなったステージで待ち続けるバンドメンバー。きっと彼らもどうにかしてライブを完遂させたい思いでいっぱいだっただろう。しかし、その願いは叶わなかった。しばらくしてスタッフが現れると、促されるように全員退場し、ステージは空っぽになってしまう。あと1曲。残すはたったの1曲だったのである。確かに体力的にも厳しい曲ではあったが、逆に言えば、この1曲がそれだけ大切な意味を持っていたのだと思う。他の曲はこの日のコンディションなりの形で聴かせることができても、この曲だけはそういうわけにはいかなかった。そういう意味では、この「鬼」という曲が持つ強い意味を改めて確認させてくれたのではないだろうか。少し好意的すぎる受け止め方かもしれないが、いつかライブで「鬼」が聴ける日が来たときは、それはそれは特別な気持ちにさせてくれるはずだ。その日が来るまで楽しみに待ちたいと思う。
さて、明らかに不自然な形で終わった本編だが、異変に気付いた場内は騒然となり、これまでの経緯や冒頭からの不安定な姿を見ていた客席からは、彼女の体を心配する声すらあがり始める。その間、5分くらいはあっただろうか。しばしの間を置いて、どこからか自然とアンコールの拍手が鳴り始めると、その動きは瞬く間に会場全体へと広がっていく。正確に言えばアンコールというよりも、彼女が無事であるか一目でも確認したい、もしくはスタッフからでもいいから彼女が無事であることの説明が聞きたい。ただそれを求めるための拍手だったと思う。しかし、彼女は気丈にもステージに帰ってきた。客席に向かって深々と頭を下げ、ねぎらいの拍手を受け取ると、ピアノをバックに「地平線まで」を歌い始める。途中、何度も声に詰まり、歌いきれずに倒れてしまうのではないかとさえ思わせたが、ギリギリのところで最後までやり通した。まるでマラソンの途中でリタイア寸前となった選手を思わせるほど痛々しい状態ではあったが、残る気力を振り絞って歌うその姿には、誰しもが心打たれたはずだ。再び沸き起こる万来の拍手に対して深々と頭を下げ、安藤裕子の復帰ライブは幕を閉じた。
確かに、ミスのない完成された音楽を求めていた人であれば、この日のステージには不満を持っていることだろう。もちろん、筆者からしても完璧なステージを楽しみたかった気持ちもある。特に、アルバムで重要な位置を占めていた「鬼」が聴けなかったことは残念でならない。しかし、彼女のコンディションが良好だったら、あんなに鬼気迫る「エルロイ」は聴けなかったと思うし、「永すぎた日向で」もここまで心に響かなかったと思う。こんなにも人の感情が生々しく伝わってくるステージは、後にも先にも体験できないのではないだろうか。「同じライブは二度としてない」ということを、改めて感じさせる夜だった。
【取材・文:タナカヒロシ】
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どんな曲を歌っても、決してその強烈な個性が失われることはない。2015年のクリスマスイブは、安藤裕子のヴォーカリストとしての魅力が解き放たれる前夜でもあった。
リリース情報
セットリスト
- 輝かしき日々
- 勘違い
- エルロイ
- み空
- のうぜんかつら(Band Ver.)
- すずむし
- あなたと私にできる事
- アフリカの夜
- 松田の子守唄
- Lost child,
- 新曲
- お誕生日の夜に
- それから
- The Still Steel Down
- 永すぎた日向で
- 飛翔
- 地平線まで