レビュー
鬼束ちひろ | 2011.04.19
今まで以上に鬼束ちひろが分からなくなったアルバムだ。だけど、これは褒め言葉。人間なんて色々な面がある。そして、色々なことを考え、思いながら生きている。それを趣向的にカテゴライズすることなく、日々の日記や記録のように連ねていったら、こんな作品になるんじゃないだろうか。繰り返し言う。これは褒め言葉。鬼束ちひろは、つかめるか分らない幸せを今でもいつでも信じている。
そして、諦念を醸し出しながらも、今でもやはり幸せを追いかけている。そして、その幸せは、この不幸の先に必ず繋がっているところも信じさせてくれる。全体的になんとなく穏やかな歌い方に変化しながらも、そこに底しれぬひんやりとした狂気とエキセントリックさ、そして、どこかその向こうに、近い者たちをがっちりと抱きしめてくれる包容力を、今でもキチンと持っている。だから、色々なことを演ろうが、新しいことに挑戦しようが、どの曲もどことなく安心して、彼女の一部として受け入れることが出来る。
鬼束ちひろのニューアルバムのタイトルは『剣と楓』。だけど、このアルバムには「剣」も「楓」も一切出てこない(笑)。しかも、ジャケットは演歌な感じだ(笑)。ますます鬼束ちひろが分からない。「だけど、それが彼女だ」と思えば、逆にとっても奥深いシンガーソングライターと言える。それを示すかのようなニューアルバムに収録されている各曲は、ざっとこんな感じだ。
ジプシーソングライクなサウンドの上、幸せの対象とされる青い鳥を孤独にいつまでも追いかけていくであろう、自身の姿を投影しているかのような「青い鳥」。伸びやかでダイナミックな広がりのあるギターロック的なサウンドの上、あえて閉鎖的な歌詞を乗せ、現実を、そして、だけどどうしても夢をみてしまう自分をどこか嘆いている「夢かもしれない」。とここまで、ちょっと内省的な歌を連発し、"今までの鬼束路線か?"と思いきや、ここでパーッと明るく力強い、前向きな「EVER AFTER」が飛び出す。キラキラとしたギターサウンドと、高揚感を煽るようなストリングスも興奮度を上げる疾走感溢れる同曲。普通ならアルバムのラスト辺りで持ってくるであろうハイライトチックなこの曲を、アルバムの転化として3曲目に持ってくるところは、さすがだ。そして、前曲ほどではないが、前向き、上向きな「IRIS」が並ぶ。この曲では、「どう、私を見て!!」と鬼束は不敵に笑う。そして、ピアノとバイオリンとそのピチカートを中心とした、内省的ながらも美しささえ感じる「僕を忘れないで」、トラッドのカバー曲「An Fhideag Airgid」と、異国情緒ただよう「SUNNY ROSE」と短いナンバーを挟み、ここで、このアルバムで最も白眉な「NEW AGE STRANGER」が飛び出す。驚くことなかれ、この曲は80年代のエレポップ感溢れるナンバー。スペ―シ―でマシナリー、オートチューンを効かせたエフェクトのかかったボーカルは、歌の内容の近未来的発想も含め、まさに"どうしちゃったの?"って感じだ(笑)。もちろん、これは褒め言葉。で、前曲で勢いがついたのか?これまたポップで弾けたグル―ヴィーな「CANDY GIRL」が飛び出し、逆に「罪の向こう 銀の幕」では、アコギの爪弾きとチェロの荘厳なサウンドの上、これまた荘厳な彼女の歌世界が広がっていく。
ラストから2曲目の「WANNA BE A HAPPY WARRIOR」という英語詞の曲で、鬼束自身が曲の最後で歌っている「今はこんなにも心が裸なんだ」。楽しいことも、哀しいことも、おどけることも、笑い飛ばすことも、能天気なことも、自省的なことも、あるもの全てを額面どおり享受することも、聴き進める度に次々に現れるさまざまな鬼束ちひろ。それがこのフレーズに集約されているようでいてならない。
どれが彼女だかなんて誰もしらない。もしかしたら、それは鬼束本人にさえ分からないかもしれない。だから、こんなアルバムを作って、我々に「これが今の私です」と提示してくれたのだろう。分かるのではなく、そのまま享受する。彼女のことは変わらず分からないが、彼女のこのアルバムの楽しみ方はなんとなく分かった気がした。
【 文:池田スカオ和宏 】