レビュー
大瀧詠一 | 2014.01.08
大瀧詠一『大瀧詠一』
本気の狂気
昨年の大みそか、大瀧詠一さんの突然の訃報が飛び込んできた。大瀧さんといえば、音楽好きなら言うまでもなく、今に連なるJ-POPのキッカケを作った偉人ミュージシャンのひとりだ。伝説のバンド“はっぴいえんど”から始まる華々しいの歴史の数々は他のサイトに譲るとして、大瀧さんは日本の音楽シーンに一体どんなひびを入れたのだろう。
僕は大学生のとき、彼のファースト・ソロアルバム『大瀧詠一』(1972年作品)を聴いた。そして驚いた。なんと1曲目の「おもい」は1分3秒しかない。「損した!」と思った。その頃、バイトしても1カ月に買えるアルバムは多くて4枚くらい。とにかく短い曲ばかりで、A面6曲、B面6曲合わせても30分もないアルバムだったのだ。
当時のロックは洋楽も日本のバンドも、凝りに凝った長い曲が流行っていたから、僕には1分の曲を作る意図が理解不能だった。だが見方を変えると、他のアルバムではA面3曲、B面2曲なんてザラだったし、ボブ・ディランなんて片面1曲のアルバムもあったから、大瀧作品は曲数的にはお買い得だったわけだ。
さらに驚いたのは、「朝寝坊」(2分5秒)という曲はウッドベースをフィーチャーしたジャズであり、「指切り」(3分34秒)や「乱れ髪」(2分17秒)は81年の大ヒット作『A LONG VACATION』に通じる大人の洗練されたロックのテイストをすでに持っていたことだった。
一方で、エルビス・プレスリーのヒット曲のタイトルを並べただけという常識破りの歌詞の「いかすぜ!この恋」(2分16秒)や、今聴いてもパンチ力抜群のロックナンバー「あつさのせい」(2分42秒)も入っている。短い曲をたくさん入れたのは、大瀧さんの有り余る冒険心から出たことだったのだ。当時はそんなふうにうまく言葉にできなかったけれど、僕は聴けば聴くほど『大瀧詠一』が好きになっていった。
勢い余って、大学生の僕は電車で30分ほどの街に住んでいた大瀧さんの家に行ってしまった。中にスタジオがあるという家の前の道路に、お払い箱になったレコーディング卓が無造作に放置されていた。本気の人の狂気といえば大袈裟かもしれないが、優れた新製品を手に入れたら、そちらに夢中になってしまって、前のことは忘れてしまうらしい。
音楽評論家になってから、大瀧さんの仕事ぶりを見せてもらったことがあった。六本木にあったソニーのスタジオでアコギの録音があり、ブースには当時最高峰のアコギ奏者が4人呼び集められ、CとかGとか初心者でも弾ける簡単なコードを全員同じフォームで弾いていた。その中の一人が4回ダビングすれば同じような音は録れるのだが、4人が同じ場所で弾かなければ出ない倍音が必要なのだという。アコギの名手たちはそれを知っているので、嫌な顔ひとつせず、黙々と弾いていた。僕はブースに入って聴かせてもらったので、倍音の豊かさを初めてもろに体感した。そんなことは後にも先にも一度だけ。超貴重な経験をさせていただいた。ここにも、本気の狂気があった。
そして大瀧さんの本気の狂気には、人を音楽の楽しさに引き込むユーモアがあった。本気の狂気は、人を幸せにする。それが最も素晴らしいことだと思う。心から、ご冥福をお祈りします。
【文・平山雄一】