レビュー
元ちとせ | 2015.07.22
元ちとせ『平和元年』
『平和元年』で反戦歌カバーを泥まみれで歌う元ちとせは、美しい
戦後70年の今年は、なにかと騒々しい。アホな政治家とその取り巻きが、簡単に憲法を踏みにじろうとする。戦争の記憶の風化が、凄いスピードで進んでいるのだ。
記憶の風化というのは不思議なもので、ある期間が過ぎると急速に進む。記憶の劣化はもちろんあるが、世代が変わるのが最大の原因だ。“戦争を経験していない世代”が増えると、その悲惨さや愚かさを“知識”として伝えるしかない。その希薄さや弱さを補うには、文学や音楽として伝える方法が有効になっていく。小説や歌は、記憶にまつわる感情を、鮮やかにフリーズドドライしてくれるからだ。
日本では終戦から20年が経った1960年代になって、アメリカやヨーロッパから“反戦歌”が入ってきた。当時、行なわれていた“ベトナム戦争”に対しての反戦運動の中から生まれた歌が、日本に紹介され、共感を呼んだのだ。それらは今では考えられないほど直接的で過激な歌詞を持っていた。今回、元ちとせがカバーした歌たちは、その中でも選りすぐりのストレートな反戦歌ばかりだ。
特に優れているのは、1曲目の「腰まで泥まみれ」。根性論を振りかざして危険な行軍を強いる隊長の命令を、「ノー!」と拒絶した隊員を描いている。迷走するリーダーには従わない勇気が必要という歌で、ベトナム戦争を推し進めたジョンソン大統領のことを歌っているのではないかと当時賛否両論が巻き起こった。
この歌を今、元ちとせが歌うのである。独特の節回しが、強いリアリティを生み出している。もちろん“隊長”を誰と捉えるかはリスナーの自由だが、今の日本の状況は決して楽観できないことは確かだ。
J-POPやJ-ROCKのアーティストには、直接的な表現を避けて、間接的に反戦を歌う者もいる。しかし、今回の元ちとせのアルバムを聴くと、ひとつ飛び越えたリアルが潔く、美しい。ヒップホップ以降、日本の歌詞が日々更新されていることは間違いないが、この時代を超えたストレートな表現をぜひ正面から浴びて欲しい。もちろん“その先”に進むために。
【文:平山雄一】