レビュー
平山雄一 ウィークリーレビュー | 2016.12.21
ヒビの入った音楽の楽しさを見つけるために
3年以上にわたって連載してきた連載「すばらしいひび」は、今年いっぱいで終了となる。これまでベテランからニューカマーまでがリリースする、たくさんのシングルやアルバム、音楽映像作品を紹介してきた。その中から印象に残っているものや、今、改めて感じていることなどを最後に書いてみたいと思う。
この連載が始まったのは2013年の11月14日で、第1回で取り上げたのは奥田民生の一人レコーディングアルバム『O.T. Come Home』だった。連載タイトルは奥田が作ったユニコーンの名曲「すばらしい日々」からきているので、奥田作品から始まるのは当然の成り行きだったのだが、それ以上に連載コンセプトも奥田の音楽や生き方からヒントをいただいている。「なぜ“ひび”なのか?」と言えば、2010年代の音楽の中から、つるんとした綺麗な音楽よりも、どこかにヒビが入っているような音楽を紹介したいと思ったからだ。その実例として奥田作品はうってつけだった。そこにはリズムのちょっとした揺れやズレ、声のかすれなどを活かした音作りがある。
音楽がデジタル時代に突入して以来、録音機材がアマチュアでも買えるようになり、歌や演奏が簡単に修整できるようになってからJ-POPやJ-ROCKの停滞が始まった。「あとで直せばいいや」という考えはミュージシャンの演奏力の低下を招き、「どうせ直しているんだろ」というリスナーからの信用の低下を招いた。
直すこと自体は悪いことではないのだが、音楽家としての基準を持たない人が“直す”と、音楽の命を奪ってしまうことがある。音程やリズムが正確なだけでは、いい音楽とは言えない。揺れやズレが人間味を生み出し、ひいては説得力に繋がっていく。そうした基準を持たずに直すと、音楽の命が奪われてしまうのだ。
生きた音楽をよく知っている人ならば、人間味に結びつくヒビと、直さなくてはいけないヒビを見定めた音作りができる。そこをはき違えているバンドやアーティストに溢れていた2013年に、この連載を僕は始めたのだった。
第1回目で僕は、「無表情でつるんとした音楽より、『O.T. Come Home』のように、ちょっとヒビが入ったものの方が面白いんじゃないのっていう提言の連載であります」と書いた。以降、紹介する作品のヒビを発見しては、そのヒビが作品にどれだけ有効なリアリティをもたらしているかを書いてきた。その思いは今も変わってはいない。ポップスやロックの命は、完成度にはなく、ヒビのほうにあると、僕は断言したい。
振り返ってみたら、ヒビのある音楽の楽しさを見つけるために、僕は15万字以上書いてきた。3年の間にいくつの“ヒビ”を紹介できたのかは自分ではわからないが、リスナーのたったひとりでも“ヒビのある音楽”に興味を持ってもらえたらうれしいと思っている。
【文:平山 雄一】