レビュー
RADWIMPS | 2011.01.12
リリースにしても、ライヴにしても、メディアの露出にしても、ロックバンドの中で今、最もその動きが渇望されている、RADWIMPS。そんな彼らから、1月、2月と2カ月連続のシングル、そして、3月にはニューアルバムと、その渇望者たちの溜飲を下げ、砂漠にようやく見つけたオアシスの如く、待望の作品群が次々と発表される。そして、その第一弾となるのが、このシングル「DADA」。
人が生きていく上で、問い、探り、最終的には見出し、辿りつこうとしている、その真理や摂理。それらを共通項に、片や自分自身に問いかけ、見つめ、見出そうとすることにより辿りつこうとする、全面性溢れる「DADA」。そして、片や外部へと思わせ、その実、それは自身への問いかけであったりする、優しい歌声や伝達メゾッドを持った「縷々」と、まことに表裏一体感溢れる1枚となっている。
まず、M-1の「DADA」は自身を掘り下げ、見つめ、自身に問いながらも、相手にも投げかけているように響くナンバー。ザックザクなギターリフのループと、ダイナミズム感溢れる躍動的でファンキーなラウド/ミクスチャー的サウンドの上、フリーキーに泳ぎ回るギターと、もの凄い情報量の自身を見つめ、掘り下げ、導き出された<自分の生きていく道>が、痛快なぐらいのライムの踏みを経て、"これでもか!"と矢継ぎ早に繰り出されている。その一つひとつに、突きつけられ、知らしめられ、諭されながらも、その重厚で躍動感たっぷりでトリッキーなサウンドに、ライブではクラウドたちが跳ねながら盛り上がっている光景も思い浮かんでくる。
そして、カップリングには、対照的にゆったりとしたテンポで音数少なく伝えられる「縷々」が。人はそれを知り、それにたどり着くために生きていく、しかし、それは知ってはいけない、真理や原理であり、知ろうとすればれするほど、答えのない問いに悩み、迷い、逆にそれが生きているバイタリティやモチベーションになっていることを感じさせる深い歌だ。前回の2枚同時発売のシングル時にも感じたのだが、この辺りは、ボーカルで作詞/作曲の野田君が2009年にインドに旅行し、見、体験し、発見したことからも何かしらの作用を及ぼしていることだろう。
両曲に通ずる<知る>というテーマ。この曲たちで歌われている大半は、自身を通しての自問だったりする。もちろん、ここでは答えなど歌われていないが、いつか齢を重ね、その真理や摂理に出逢った時、"ああ、あの歌は、このことだったのか…"と、再発見するにちがいない。 かく言う僕もまだまだこれから、人生の意味や理由を探求していく。そう、この盤をガイドにしながら。
【 文 :池田スカオ和宏 】