レビュー
RADWIMPS | 2013.10.18
美しく毒を放つ。衝動を曇らせることなく、そのまま音に変えた彼らの音は、いつだって激しく胸を叩く。ときにシニカルに裁き、ときに涙が出るほど、無防備すぎる素直な心情をほろりとこぼす―――。
10月16日にリリースされた「五月の蝿/ラストバージン」。彼らはこれを究極のラブソングと言う。
両A面というスタイルで届けられるこの2曲は、どちらも紛れのない純度100%のRADWIMPSだ。信頼関係という名の絆で堅く結ばれた4人からは今、新曲が止まることなく溢れ出ているという。そんな中の2曲。
“聴いてもらいたい曲がたくさんあるから”
という彼らの思いを尊重し、対照的とも言える「五月の蝿」と「ラストバージン」は、共にタイトル曲として放たれることになったのだ。が、しかし。この2曲は、同時に放たれるからこそ、そこに更に深い意味が存在してくるように思えてならない。
苦しみの中でもがき、叫びを上げる音の上に、相手への憎しみの極限を描いた歌詞が乗る「五月の蝿」は、嫌悪感を抱くほど露骨で残虐な表現が並ぶ、ラブソングとはとうてい思えない内容ではあるが、どうしてか、不思議と、2曲目に置かれた、人を愛するとき、誰もが必ず“当たり前”に感じる“幸せ”な心境を、何気ない言葉と空気感で現し、柔らかに包み込むあたたかな曲に乗せた「ラストバージン」を聴き終える頃には、「五月の蝿」が究極のラブソングに聴こえてくるのである。顔をしかめた残虐さも、その愛が深かったことを意味するモノだったのだと。
野田洋次郎の哲学。そう思えてならない。
単なるスタイルで書かれた歌詞ではないということ。歌詞の最初と最後で、“こんな気持ちはじめて”と“そんなの当たり前だよ”が逆転する「ラストバージン」も、まさに野田洋次郎の哲学。“愛してる”という言葉を用いずして、ここまで深い“愛してる”を伝えてくるとは。さすがである。そして、何よりも、「ラストバージン」の中には、彼らが唄う意味が記されているように思う。
“何度も何度でも思い出せるように歌にして”。彼らは、日々、そんな思いで感情を歌にしているのだろう。そんな彼らの日常を、とてもリアルに感じるフレーズだ。
そして。3曲目には最高の弾けっぷりを見せてくれる「にっぽんぽん」。この曲も、自らが生まれ育った日本に対する究極のラブソングと言えるだろう。
ストレートじゃないけど、ド直球。
聴き終わった後に、じわっと伝わる“究極のラブソング感”を、ぜひとも味わって頂きたい。
ビバ。RADWIMPS!
【文:武市尚子】