「ひとりを思い、誰かを愛する5曲」(小川智宏 選曲)

おうちで音楽を楽しもう | 2020.06.05

2020年6月5日 UPDATE

小川智宏 選曲
テーマ「ひとりを思い、誰かを愛する5曲」

 仕事でもプライベートでも、直接人と会う機会が一気に減ったこの2ヵ月。コミュニケーションの総量は減ったけれど、そのぶん特定の人との関係は濃くなった気がする。ZoomやLINEや電話でのちょっと面倒くさい(いろいろ気を遣ったり、いつも以上に感情をしっかり表現しないといけない)対話は、大事な人は誰なのかを図らずも教えてくれる。分断されているからこそ、本当に愛すべき人のことをまっすぐに想える、そんな今にぴったりの5曲を選びました。心のなかにいる誰かのことをイメージしながら聴いてください。

AAAMYYY「HOME」

 5月13日に配信リリースされて以降、毎日のように聴いている。もともとは「SUUMO」の新生活を応援するというテーマの特別映像に書き下ろされた楽曲だが、タイミング的にも内容的にも、まるで今の一変してしまった日常に小さな希望の灯りをともすように響く。AAAMYYYの声は時代の声だ。プレーンで、クリーンで、ニュートラル。そして寂しさにも強さにも偏らない、デフォルトの優しい孤独を体現している。昨年のアルバムではその佇まいがディストピア的未来観と対置されることで世の中の矛盾を突く尖ったナイフのように機能していたが、その彼女が人間とその「絆」を歌うと、こんなにも美しい歌になる。未来ではなく今、向かうべきどこかではなく帰るべき場所。まるで小さい頃に口ずさんだ曲のような懐かしさで、「HOME」本来の意味を思い出させてくれる。

くるり「心のなかの悪魔」

 くるりが急遽リリースした未発表曲集『thaw』に収録された楽曲。2009年に録音されたリハーサルテイクで、本番レコーディングではない無造作さとプライベートな空気感がなんとも心地よい。だがそこで歌われているのはかなり深く切実なテーマだ。誰しものなかに棲む「悪魔」、岸田繁がバンドのオフィシャルnoteに寄せたライナーノーツ(https://note.com/quruli/n/n575055439251)で「誰かにとっての自分自身であり、誰かを知らず知らずのうちに傷つけてしまっていたことへの懺悔であり、あるいは自分自身を縛り付けていたトラウマや思い込みのことなのかもしれません」と記す――つまり自己であり他者でもあるそれと向き合うことは、自分を知るということでもあり、誰かとの関係に思いを馳せるということでもある。自分のなかにいる「悪魔」と対話する夜明け前。そんな切なくも愛しい時間が流れる名曲。

Homecomings「Cakes」

 Homecomingsの音楽は、いつだってひとりで聴きたい。そして、そのそこはかとない孤独と寂しさが漂うメロディと歌詞の裏側にささやかに感じる「誰か」の気配に耳を澄ましたい。アルバム『WHALE LIVING』に引き続き日本語で歌われたこの曲は、映画『愛がなんだ』の主題歌として書き下ろされた。ここに歌われているのは、一言でいえば人と人とのあいだに生まれる「愛のようなもの」の風景だ。別々に生きてきたふたりが何かの拍子に出逢い、ともに暮らし始める。ひとり+ひとりが「ふたり」になった瞬間の少しの戸惑い(<こうならないように歩いてきたのだ>)、ひとつのケーキを分け合い、切り分けたピースの<大きい方をあげよう>という不器用な気持ち。ひとり同士だからこそ、ふたりでいることが特別になる。そんな瞬間の大切さに気付かされる曲だ。

back number「手紙」

 バラードにしろアッパーチューンにしろ恋愛をモチーフにした楽曲が多いback numberにおいて、珍しくそうではない「愛」を歌った楽曲。故郷にいる親(家族)に向けて<愛されている事に/ちゃんと気付いている事/いつか歌にしよう>と思いを伝えるこの「手紙」の<離れていても守られているんだ>というストレートで素朴な言葉に、今こそ共感する人も多いはずだ。自分がどうやってここまでたどり着けたのか、自分という人間を作ってくれたのは誰なのか。もっと大げさにいえば、自分は誰のために生きているのか。いろいろ大変なこともあるし、ストレスだらけの自粛生活が続くなかで、この曲を聴くと心の目盛りがすっとバランスを取り戻すような感覚が僕にはある。あとは、自分って意外と家族のこと好きだったんだなー、とか。何度も救われている。

クリープハイプ「愛す」

 気づいたらこの2、3ヵ月でいちばん再生していたのがこの曲。<逆にもうブスとしか言えないぐらい愛しい>という1行目の歌詞がすべてなのだが――ねじれた気持ちをねじれたまま差し出すことも出来ずに、かといってまっすぐにする勇気もなくて、結局思いを伝えきれずに終わっていく恋。この曲が画期的ですばらしいのは、愛を「伝えなきゃ」ではなく「感じ取らなきゃ」ということを教えてくれるところなんじゃないかと思っている。愛はそこらじゅうにある、いろんなものに擬態して。店の前で慣れない手つきで弁当を売る飲み屋のバイト、靴屋の店先に貼り出された「手作りマスクあります」の張り紙、タイプミスだらけの家族からのLINE、いつもより減りが早い冷蔵庫の中の牛乳。「ブス」が「愛す」の意味であるように、そのすべてが愛なのだと。この曲のように、気づいたときには遅いのかもしれないけど、それでも気づかないよりはマシだよなと最近特に思う。

(プロフィール)
小川智宏
元「ROCKIN’ON JAPAN」副編集長。音楽を中心にカルチャー全般についてさまざまなメディアで執筆。今まで天邪鬼で頑なに避けていたNetflixにこの自粛期間中にハマる。

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