「夜型人間の琴線に触れる、真夜中から夜明け前が舞台の5曲」(沖さやこ 選曲)
おうちで音楽を楽しもう | 2020.07.17
2020年7月17日 UPDATE
沖さやこ 選曲
テーマ「夜型人間の琴線に触れる、真夜中から夜明け前が舞台の5曲」
ああ、なぜなのだろう。どんなに早起きをした日でも、気付けば深夜2時3時――これはもう、どこを切り取っても闇属性の人間が夜行性という呪縛から逃れられない運命(さだめ)なのだ! そんな生活を長く続けていると、魅せられ惹かれる曲もジャンル問わず「夜」が似合うものがどうしても多くなってしまう。なかでも日付を越えた真夜中から夜明け前までのムードに胸が焦がれるのは、秘められたものが露になるムードに加え、寝静まったこの世界が自分たちだけのもののように感じるからだ。街の明かりが消えない東京の繁華街も、山奥で見た星の輝きも、大切な人と過ごすときめきと高揚も、溢れだしてしまった悲しみの涙も、昨日に片足を残したままの心も、夜空はただただ静かに見守っている。そんな真夜中を切り取った5曲を、草木も眠る深夜2時に選んでみました。
STUTS「夜を使いはたして feat.PUNPEE」
2016年4月にリリースされたSTUTSの1stアルバム『Pushin’』収録曲。青春の夜遊びの煌めきや、朝が来ないでほしいと願う切なさ、こんな日々はいつまで続いてくれるんだろうかという一抹の恐怖、朝焼けとともに明日に向かって動き出す世の中に取り残された寂寥感までもを内包するという、まさしく真夜中ソングの代表格だ。
楽曲の肝はSTUTSのメロディセンス。曲の顔でもあるリフはもちろん、サビメロとその裏で流れるシンセ音などが鼻歌のように軽やかでありながら、名残惜しく離れがたい抱擁のように胸を締め付ける。そしてその彩度を上げるのがPUNPEEのロマンチシズム。まずオールを“夜を使いはたして”という言葉で表現する手腕も秀逸だし、<人気(ひとけ)のない夜の先々に案とヒントは眠ってる>というSOUL SCREAMのアルバムタイトルを引用したリリックは、悩ましい夜を送る人々への救済にもなるだろう。
使い果たした夜は、時を経れば経るほどに輝きを増していく。そんなノスタルジーを現実へと立ち昇らせ、未来へと送り出す活力に変換してくれる楽曲だ。
Age Factory「HIGH WAY BEACH」
2019年8月リリースの配信シングルであり、2020年4月リリースの3rdフルアルバム『EVERYNIGHT』収録曲。歌詞はギターボーカル/ソングライターの清水エイスケが、ARSKNのRY0N4の家で作業をしていた時に耳に入った高速道路を走る車の音が、波の音に聞こえたことから着想を得ている。
Age Factoryは“海”を様々な概念やモチーフとして描くことが特に初期に多い。そのなかでも同曲は、奈良という海のない街で生まれ育った彼らの抱く海へのロマンチシズムが繊細に描かれているだけでなく、バンド活動を通して出会った仲間という夢よりも夢のような美しさを放つリアルも孕んでいる。静と動をしなやかに描くサウンドスケープは感情の満ち引きのようで、咆哮とともに放たれる<いつか僕ら 目覚めてしまわないように>という言葉も若者ならではの切なる願いとして生々しく響く。倦怠感を宿しながらも情緒的なメロディに宿るのは、ライトが光を失う夜明けの美しさと寂しさが混在する複雑な心情。白黒つかない、言葉では説明しがたい感情の居場所へと、逞しくしなやかに誘ってくれる。
フジファブリック「銀河」
2005年2月リリースのシングル曲。四季をテーマに作られた連作シングル4部作・通称四季盤の最終章となる“冬盤”のタイトルトラック。耳に残る奇妙なイントロのギターフレーズ、ラスサビ前の異端な転調、どこか珍妙な歌詞、常軌を逸した高低で構成されたメロディなど、ポップでありながらも二重も三重もひねくれているという摩訶不思議なセンス=志村節を強烈に知らしめた曲でもある。
重要なのが、この曲はラブソングだということ。愛する人とふたりだけの世界に没入することを<真夜中 二時過ぎ 二人は街を逃げ出した>など、愛の逃避行として描く。深く心境が綴られているのが問題の転調部分。高揚と恍惚に満ちた言葉と、あの気持ちが混乱するようなスリリングなメロディの相性が抜群なのだ。アウトロの演奏に思いを馳せれば馳せるほど、夜空の果てまでどこまでも飛んでいくふたりの背中が浮かんでくる。余韻に浸れることはもちろん、ふたりのこの先にどんな未来が待っているのかはふたりにしかわからない――その謎めいた様子もまた小粋だ。
Plastic Tree「影絵」
2014年3月リリースのミニアルバム『echo』収録曲。8分の6拍子、フィードバックノイズテイストのギター、音階を下へと辿るピアノの音色など、サウンド全体で空から降り注いだ雨や、それが地面を打つ様子、降りしきるなかで景色一帯が靄がかった風景を描いている。
<ぼんやりテレビ観てたら終わってた>や<試験電波の音>といった歌詞から、テレビの放送が終了した深夜3~4時過ぎであることが窺える。離れ離れになってしまった愛しい人への消せない想いを、風景になぞらえて文学的に綴るその手法は、ギターボーカル・有村竜太朗の真骨頂。冒頭で出てくるテレビが痛烈な心象模様のモチーフとして描かれていくという手腕にも唸る。憂いのある有村のボーカルとそれを辿る反復するようなメロディは、彼の呼吸の化身のよう。有村作詞作曲であり、音だしのピアノ和音のあとに彼のブレス音でスタートするイントロなど、彼の世界観が色濃く出た楽曲だ。悲しくも麗しい物語に溺れる感覚が不思議と優しく心地好い。
plenty「蒼き日々」
2012年2月にリリースされた1stフルアルバム『plenty』収録曲。8分の6拍子のリズムに乗せてかき鳴らされる焦燥感の迸るギター、それを粛々と刻みながら支えるリズム隊の織り成す音像が、沸々とした気持ちを抱え、うつむきながらも闇のなかを一歩ずつしっかりと踏みしめていく若者の姿を彷彿とさせる。
歌詞には<朝が来るまでは僕だけが正義。>や<どれだけ何を糾せば僕が分かるというの?>など、弱音と意地が交錯した等身大の本音が綴られる。低音から高音までを巧みに扱ったたおやかなメロディに、鋭い言葉を泥くさくもスマートに並べる江沼郁弥のセンスは、アンバランスだからこそリアルで小気味よい。<独りよがりでいいだろ>と吐き捨てていたところから、<独りきりでもいいだろ>と歌いきる凛としたラストは、新しい1日が始まることを予感させる静かで確かな朝焼けのように勇敢だ。
まっすぐ歩けないかもしれない、足踏みかもしれない。だがその足は確実に前へと進んでいて、新しい場所へとつながっている。そんなことをあらためて噛みしめさせてくれる。それは夜という人目のない時間だからこそ見つけることができる、一筋の光なのかもしれない。
(プロフィール)
沖さやこ
2009年3月に音楽系専門学校を卒業後、音楽ライターのアシスタントを務め、2010年5月からフリーランスライターとして活動を開始。音楽やアニメ、声優、インターネットシーン、同人シーンを中心に、カルチャー系のインタビュー、ライティングを行う。文章の影響は太宰治、芥川龍之介、町田康、大槻ケンヂ、中島らも。
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